2016/04/05

手をかけること

手をかけること。

それは、どんな素材でも時間と手間をかけることで見る人に感動を与えること。

卒業制作のときに鳥取でみた浜絣がそうだった。
自分の娘がお嫁にいくときに着せる着物をわざわざ手間のかかる絣で織って
お金はなくても、自分の腕と時間で作った大作で娘を送り出したい、そんな気持ちがじわじわと着物から染み出しているようだった。

日本人ってお金をかけずに感動させる、みたいなものが得意だと思う。

だからみんな、白い木綿を細かく絞ったり、絣にしたりして。
みんなやってたから、その苦労やスゴさみたいなものが分かってて
価値が分かってたから今もまだ残っているんじゃないかな。


でもいつからか、スゴいものが簡単に大量に安くできる時代がきてしまって
みんなそっちに流れちゃって(今まで苦労して作ってたんだから当たり前だ)
いつのまにかスゴいもののスゴさも、質も、わからなくなってしまった。


今は逆の風がふいている。
みんなもう飽き飽きしてる。簡単にできる質の高い布も、それでできる服も。
今が新しいものを作り出すときで、また新しい価値観を生み出せるときでもある。
常にスゴいものが簡単に安くできるような機械が開発されていて
そっちになびくことはすぐできるけど、ここでそこに流れたらまた繰り返し。

手をかけること。
スゴいものを手で生み出すこと。

時間がかかっても、苦労しても、やっぱり手をかけるべきだと思う。
それが小ロットでしかできなくても、機械ではやってはだめだ。

それでも安ければいいのか?安いものを売っているとこだったらそれでもいいと思う。
でも、作っているものは金額で勝負しているわけじゃなくて、「新しいもの」というところで勝負しているんだからやっぱり手をかけなくちゃいけない。

そしてそれを理解してもらわないといけない。
ここでしかできない、ということ。
時間がかかる、ということ。
そして布にもデザインがあって、布そのものが独立した「作品」ということ。


手をかける。


どんな形であれ、今までのことの継承とこれからのものを作るときに忘れちゃいけないこと。


事務所がオープンしての初仕事、切ってなかったこの雨つぶの糸をはさみで切りながら、おもいました。腱鞘炎になりそうだぜ。
























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